子供の頃から好奇心が旺盛で、色んな経験をしてきました。「仮面ライダー」を中心とする特撮もの、アニメやコミックス、プロ野球・プロレス・相撲・NBAなどのスポーツ観戦、結構バリエーションも多いと思います。
「大人になったら何になりたい?」
私の最初の答えは、「カレンダー屋さんの社長」だったらしい。この答えを言っていた頃はあまりに幼い時で、はっきりとした記憶がない。朝起きると、広告紙裏面の白紙のところを使って、日月火水木金土、1、2、3、・・・、31と書き記してカレンダーを書いているような子だったらしい。毎日書いているせいか、「来年の○月△△日は何曜日?」とかいう質問にすぐに答えることができたようだ。実際に調べてみると合っている。これは不思議だということで、当時テレビであった「奇人変人」番組に出そうかというところまで話題になったようだ。残念ながら、このような才能はその後開花せず、成長と共に終わった。
次になりたい答えが、当時の特撮ヒーローである「仮面ライダー」、相当影響されたことがわかる。仮面ライダーの真似はもちろん、朝から晩まで仮面ライダー関係の本や雑誌を眺めていたようだ。もちろん、番組の放送日は事前に準備をして確実に視聴していた。毎週の楽しみだった。この辺は記憶がしっかりしているので、小学校の低学年くらいだったと思う。
最初の「仮面ライダー」が始まったのが昭和46年、私は小学校2年生だった。丁度夢中になれる年代にマッチしたのがこの番組だった。もう一つのシリーズものの雄でである、円谷プロのウルトラシリーズ、初期のヒット作品である「ウルトラマン」、「ウルトラセブン」はまだ就学前の頃でマッチせずに、夢中になることなく、「帰ってきたウルトラマン」から始まる第二期シリーズからだ。最も夢中になった「仮面ライダー」の最初のシリーズは、 昭和50年4月から12月まで続いた「仮面ライダーストロンガー」で一区切りになった。私も小学6年生になっていた。丁度、私の小学生時代を彩ってくれたのが「仮面ライダー」で、色んな影響を受けた。悪いことは悪いとしっかり言う、戦う、弱い者いじめはしない、逆に、弱い人を助けるのがかっこいいことだ、そんな単純なことではあったが。。。
4年ぶりのブログ再開
最後の投稿が2020年11月07日、もうすぐ4年のブランク、この間て゛の大きな出来事だった新型コロナウイルスがようやく落ち着いたが、世界的に見れば新たな大きな問題である戦争勃発が相次いだ。新型コロナウイルス問題はウイルスと人類の対決、どうしても避けようもない問題だったが、戦争は人為的な問題、同じ人同士である、避けようがあるのではと思ってします。
こんな時こそ、ウルトラマンであり、仮面ライダーが助けに来てくれないものかと思っています。この規模だと等身大の仮面ライダーというよりは、宇宙人であり、原爆や放射能問題とも対峙してきた経験のあるウルトラマンやウルトラセブンの登場を願うべきであろうか。
実は私は光の国に土地を持つ住民になりました。地球暦の2023年2月1日付けで。
下記がその住民票になります。好きなキャラクターでウルトラセブンとウルトラマンエースの台紙を選びました。住民の特権で、両方のウルトラ戦士を地球上の戦争解決のために出動させられたら嬉しいばかりなのですが。。。
皆さんの中でも興味がありましたら、下記を参照下さい。須賀川市からでした。
特撮番組に完全に夢中 ~1972年、1973年
1972年(昭和47年)は一番特撮番組に夢中になった年でした。前年から始まっていた仮面ライダーが1号と2号が揃ってダブルライダーになり、敵もゲルショッカーと更に強くなり、偽仮面ライダーも登場して、大興奮して見ていました。
4月からウルトラシリーズで結果的に一番好きになった、ウルトラマンエースが始まりました。北斗星司と南夕子という男女合体での変身、ウルトラ兄弟成立、ウルトラの父の東京、更には悪を率いる異次元人ヤプールの存在など、話題性一杯で画期的でした。ウルトラ兄弟が全滅したシーンなど、翌週の続きが待ち遠しくて見ていたことが思い出されます。
それ以外にも、先にご紹介したアイアンキング、レインボーマン、怪傑ライオン丸、石ノ森章太郎の人造人間キカイダー、バロムワンなどなど、枚挙にいとまがない位、たくさんの特徴的なヒーローが目白押しでした。この流れは翌1973年(昭和48年)に続きます。仮面ライダー1号、2号が改造手術をして作り上げた仮面ライダーV3が始まりました。
1974年(昭和49年)に入り、私が成長して関心が薄れたのか、話題性が高い特撮番組が一気に少なくなりました。仮面ライダーシリーズは仮面ライダーX、アマゾン、ストロンガーと続きますが、1975年(昭和50年)で7人ライダーのそろい踏みでもって終了します。ウルトラマンシリーズは、ウルトラマンタロウ、ウルトラマンレオと一気に低視聴率になり、番組打ち切りになってしまったようです。逆に、戦隊もののトップバッターとして、電撃戦隊ゴレンジャーの放送が始まりました。仮面ライダーV3風見志郎役の宮内洋さんが青レンジャーで登場、モモレンジャーペギー松山役のショートパンツ姿が妙に印象に残っています。中学生に進学の頃でもあり、夢中になる度合いがかなり落ちていたように思います。
こうしてみると、1972年(昭和47年)~1973年(昭和48年)が、私の特撮番組の夢中度のピークでした。客観的に比べてみても、番組としても一番勢いがあった年だったように思います。皆さんはいかがでしょうか?
特撮番組の全盛期に生きてきました ~1970年代前半~
私が小学生時代を送ったのは1970年(昭和45年)4月から1976年(昭和51年)3月まで。この間には今につながるものも含めて、多くの特撮番組が登場しました。試験的な取り組みも多く、当時関わった方々が創造力を駆使して、未来を担う子ども達に届けようと頑張られたのでしょう。ウルトラマンシリーズ第2期、最初の仮面ライダーが1971年4月から始まりました。私の小学生時代の特撮番組を紹介します。
1970年(昭和45年)はまだ黎明期。円谷プロの「ウルトラQ」、「ウルトラマン」、「ウルトラセブン」の第一期三部作が終わった後は、「ウルトラファイト」という5分間のミニ番組が放送されていた位、フジテレビ系列で翌年から始まる「スペクトルマン」も「宇宙猿人ゴリ」というタイトルで放送されていた。
1971年(昭和46年)はいよいよヒーローが動き出す年になった。シリーズになっていく「帰ってきたウルトラマン」、「仮面ライダー」が放送開始されて、いよいよ特撮の新たな時代が動き出していく。この年の10月からは、巨大ヒーローとして、「シルバー仮面」と「ミラーマン」が開始。いよいよ、私が絶頂年であったと思う1972年(昭和47年)に向かう。
特撮番組の分析 ~1972年放送「アイアンキング」
1972年(昭和47年)に放送された「アイアンキング」、月光仮面から始まる宣弘社の製作で、TBS系列で日曜日19時のゴールデンタイムで放送された特撮番組です。
なぜこの作品に注目するかというと、この作品では、当時としての色んな挑戦が行われていたからです。
まずは、主演に今をときめく2人の俳優を起用。青春ドラマのスター、石橋正次を抜擢。彼は「夜明けの停車場」などギターの弾き語り曲でヒットを出していた頃でもあります。もう一人、吉永小百合さんとの数々の映画主演で有名な浜田光夫さんを抜擢。しかも、アイアンキングに変身させるという、何ともすごい企画でした。他には、毎回、他の特撮番組等に出て注目を浴びていた女優さんをゲストで出しています。1~6話は森川千恵子さん(仮面ライダーの初期に登場した緑川ルリ子役、当時の芸名は真樹千恵子さん)、7話は関かをりさん、8話は星光子さん(この二人はウルトラマンAの南夕子役、当初は関さんの予定が登板前に怪我をして星さんに交代されたといういわく)、9話は岡崎由紀さん(『おくさまは18歳』が有名)、10話は志摩みずえさん(『決めろ!フィニッシュ』の主役)といった感じです。
ストーリーも、勧善懲悪がわかりやすく、悲壮感が少ないので見ていて安心です。親としては子供に見せても安心。 直前の作品「シルバー仮面」がヒーロー番組として重い内容、かつ視聴率が取れなかった反省から、本作品では弦太郎と五郎の2人の能天気凸凹コンビの珍道中を基本に、コミカルなやりとりや軽快なアクション、そこに女性のキャラクターを交えて組み立てています。大物二人の抜擢に成功したのは、大物脚本家の佐々木守さんが直接二人を説得したからのようです。 ヒーローに絶対必要な弱点ですが、アイアンキングの場合は、エネルギーが水なので、水が尽きると動けなくなり、人間の姿に自動的に戻ってダウンしてしまうこと。常に水に飢えている名優・浜田光夫さんの姿が何ともいい感じだと思います。
最初のシリーズの敵は不知火一族で、2千年前に大和朝廷に征服されて歴史から抹消された日本の先住民族の末裔たち
スーパーカーブーム ~1977年
これまで車への憧れを一番持った時期が、中学生時代にやってきたスーパーカーブームです。当時、色んなところでスーパーカーショーが開催されて、私も結構出かけました。写真も結構集めました。当時私が撮った写真が出てきましたので、紹介です。既に43年が経過していますが、スーパーカーのデザインは今でも通じるくらいシャンとしている感じです。
米沢駅前にあった「ジャスコ」屋上駐車場でのイベントです。電車で来るのに便利でした。